逡巡も後悔もなく 咲き満つる 一万本の向日葵の花
真冬になんとまあ向日葵の花?ということになりそうですが、実はこういう
話なのです。
以下は「心の花」という短歌の結社誌、2003年1月号に掲載された文章。
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歌の十字路 ~ビーズの指輪~ 古川典子
1991年6月3日 その日の夕方、テレビで普賢岳大火砕流発生の
ニュースが流れた。行方不明者の中に、テレビ局のカメラマンである
亜美ちゃんのお父さんの名前があった。亜美ちゃんは私の幼稚園の
園児で四歳。その後つぎつぎと犠牲者の名前が報じられたが亜美
ちゃんのお父さんの名前は無かった。遺体の確認が難行しているらし
かった。異様な状況の中で、幼い亜美ちゃんがどんなに不安な思いを
しているだろうと胸が痛んだ。
翌日、意外にも亜美ちゃんは登園した。そしてビーズで指輪を作って
遊んでいる時、代理の方が迎えに来られた。私は急いで残りのビーズを
通し、指輪を仕上げて亜美ちゃんの指にはめ見送った。お父さんは、
父親参観に出席しようと、振替え勤務中に惨事にあわれたことを後日
知る。
五日後の社葬の席で、お母さん、お兄ちゃんと並んで座った亜美
ちゃんの指には、あのビーズの指輪がはめらていた。
大火砕流発生から十一年。当時は火山灰も降り注いだであろう
普賢岳の麓に、今年一万本の向日葵の花が咲いた。
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その2年後、2005年の2月に福岡第一学園高校を卒業し、4月からは
横浜の洗足音楽大学(JAZZ科)に行くという亜美ちゃんが、お母さんと
一緒に園を訪ねて来てくれました。実に13年ぶりの再会でした。
亜美ちゃんは、
「ステージに立つことはとても緊張するけど、私にはいつもお父さんがついて
いてくれる。私の演奏には、お父さんのパワーが混じっている」と言ってい
ました。その後、彼女は大学より奨学金を得、渡米。現在はプロプレイヤーと
して活躍中です。そして、なんと1月19日(日)には長崎でもLIVE!!
留学中、ボストンから届いた彼女のクリスマスカードには 「必ず有名な
プレイヤーとなって夢をかなえます」と書いてありました。かなったね、亜美ちゃん。
でも、これはまだきっと夢の途中。もっともっと、大きな実績へと膨らんで
いくことでしょう。応援しています。